▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

ニシタチ物語(第2章)

老舗の記憶『3』

【ぶたまん】
『1946(昭和21)年創業』


この店ではギョ-ザを「ギョ-ズ」と呼ぶ。戦後、満州から引き揚げ、1946(21)年に店を開いた初代・日高秀二さん(故人)と妻ノブ子さん(同)の「味を本場に似せるからには、呼び名も」という思いを守っているからだ。
もっちりした皮とニンニク控えめの具材で、女性にも人気の看板商品だが、なぜか店名はメニューにない「ぶたまん」。橘通西3丁目に店を構えている。


「本当は来来軒というのれんを掲げていたんです」。
祖父秀二さん、父隆さん(故人)の跡を継いだ3代目・日高玲さん(55)は店の歴史を明かす。


露店商が野菜や乾物などの販売をしていた青空市場(2003年撤去、現バ-ジニアビ-チ広場)跡地に店を構えた創業当時は、ギョ-ズとともにぶたまんも提供していた。


まだ珍しかったぶたまんは大人気で、いつの間にか「ぶたまんの店」という愛称が定着。現在地に移転した55(昭和30)年に店名を変更した。しかし、「手間がかかる上、失敗も多い」との理由で80年代にメニューから姿を消す。

󾦅 󾦅
夜の歓楽街のイメージが強いニシタチだが、ほんの20年前までは日中も営業する食堂が多かった。かつてニシタチで人気店といわれた天ぷらの「えびのやまぐち」、とんかつの「二幸」などもそうだった。


日高さんと店を切り盛りする母・満州代さん(83)は「橘通リや周辺のデパートで買い物を済ませた親子連れ、昼休みのサラリーマンで昼間もにぎわっていた」と思い出す。


現在は正午から午後9時までの営業だが、80年代までは午後11時まで営業していた。日没後には近くの店のバ-テンダ-や板前が出勤前にニシタチに現れ、飲み客とともに「肩がぶつかるほど人が行き交っていた」(満州代さん)そうで、ぶたまんでもギョ-ズやラ-メンで腹を満たす客が多かった。

󾦅 󾦅
数年前から約10種類の日本酒を冷蔵ケ-スに並べている。高級和食店と変わらぬ銘酒をグラス1杯500円で提供しているとあって、最近は軽く飲むために訪れる客も多くなってきた。
「時代や街の変化に合わせて柔軟に対応するようにしている」という玲(あきら)さんだがギョ-ズをはじめとした店の味だけは変えるつもりはないという。


この味を求めてくれるお客がいるから」。30~40年前に親と食べた味が今も変わらないと感激する人や、実家に帰る前に空港から直行する人がいる。
「うちで食事をすると帰ってきたと思うのかな」と日高さんは照れたように笑う。

戦後間もないころに使われていた市外局番1桁の電話番号が朱色でふちに記された白皿や、「占領下の日本製」を意味する「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の印字が残る皿、黄色みを帯びたメニュープレート---。変わり続ける街の中、昔のままの店内と味で客の胃袋と心を満たし続ける。

ー続くー。