▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

ニシタチ物語(第2章)

老舗の記憶『7』

【戸隠】(昭和42年創業)
『とがくれ』

酔客もてなす終着駅

たらふく飲んだ後、酔客が《しめ》に選ぶ料理はラ-メン、雑炊などさまざまあるが、ニシタチでは釜揚げうどんが根強い人気を誇る。
歴史をひもとくと、西銀座通り沿いで営業する「戸隠」が発祥の店だ。


とある週末の午後11時すぎ、プロ野球選手ら過去に来店した有名人のサインで壁一面が埋め尽くされた店内は、徐々に客が増え始めていた。ほとんどの顔がほんのり赤らんでいて、仲間と楽しそうに話し声も大きい。


注文後、しばらくすると、ふわふわにゆで揚げられたうどんが、お湯に漬かった状態で湯気を上げながら運ばれてきた。たれは、宮崎県で主流とされるいりこやシイタケではなくカツオと昆布がベ-ス。ユズの香りも特徴だ。酔客は待ちきれなかった様子で、早速すすり始めた。
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「ここはもともと、ダンスホールだったんです」。現在の店内からは想像もつかないが、2代目店主の猪野龍治さん(55)は当時をこう語る。創業したのは、猪野さんの父義夫さん(故人)と母千恵子さん(83)。2人とも社交ダンスの講師で、昭和30年代後半に自宅を兼ねたホ-ルを開いた。猪野さんは「その頃は社交ダンスがブーム。県庁職員やス-ツ姿のサラリーマンが、仕事を終えて習いに来ていた」と懐かしむ。


当時はまだ、今のように周辺に飲食店もなかったため、面倒見のいい千恵子さんは、レッスンを終え、腹をすかせた教室の生徒に手料理を出すようになった。そこで、いくつかあるレパートリーのうち特に好評だったのが釜揚げうどんだった。


そのおいしさは次第に評判となり、「うどんだけを食べたい」という客が現れ始める。こうした声に押される形で1967(昭和42)年、ホ-ルを店舗に改装し、のれんを掲げた。
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20歳で両親とともに店に立つようになった猪野さん。この35年間で、客の世代交代も進んだ。午後11時、午前1時の混雑ピーク時はス-ツ姿のサラリーマンがほとんどだったが、最近は若者のグループや女性の1人客、観光客も増えた。


時間帯も読めなくなり、「2次会に行かないお客さんが増えたり、客層全体が多様化したりしているからでしょうね」と猪野さん。


2003年には、火事で店が全焼。約半年間の休業を余儀なくされた。それでも、両親がつくった味は大切に守ってきた。
猪野さんは「創業当初の味が基本。ただし、麺やたれは、常に研究、改良を重ねてきた。ゆるがないものを持ちつつ、客の好みの変化にも常に敏感でいたい」と考えている。


長く愛されてきた《戸隠の味》。時代に合わせて少しずつ進化を遂げながら、ニシタチの終着駅として今も親しまれている。

=第2章おわり=