▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

ニシタチ物語(第2章)

老舗の記憶『4』

【つぼや本店】
『1953(昭和28)年創業』
定番ホルモンの源流

カウンターの客の前のしちりんで、網に載せたたっぷりの豚ホルモンを店員が箸で器用にひっくり返していく。店内に立ちこめる煙の香りに食欲をそそられても、「どうぞ」と言われるまで客は箸を付けないのが暗黙のルール。ニシタチでホルモンと言えばこれが定番だが、県外では少ない独特のスタイルだ。


その源流とも言える店が、ニシタチに今も残る。赤玉駐車場隣の「つぼや本店」(橘通西3丁目)。戦時中、中国で食べたホルモン焼きをヒントに1953(昭和28)年、元警察官の竹内知さん(故人)が開いた。


「しちりんを使ったのは、ガス台を買うお金がなかったから」。20年前まで2代目として店に立ったおいの谷口宗任さん(72)が教えてくれた。

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谷口さんが本格的に店を継いだのは78(同53)年だが、20歳くらいのころ2年間だけ店を手伝ったことがある。当時、上野町にあった同店。近くの青空市場(2003年撤去)は毎夜、昼間の露店商に代わって、裸電球をともしたウナギ釣りや射的の夜店でにぎわっていた。


誰もが貧しく、豚肉はまだ高級品だった時代。1人前60円ほどで食べられた豚ホルモンの炭火焼きは、しょうゆべ-スの自家製たれと相まって大盛況。「営業時間の夕方午後5時から朝の2時まで、休む暇もなかった」。7、8席しかない店に、多い日には200~300人が訪れた。


「お客さんに焼いてもらっていたんでは、人数をさばけなかったんだろう」。開店当初から店員が焼くやり方を採用。焼き加減の難しいホルモンを、おいしく食べてもらうための工夫でもあった。首都圏では、最近、店員が最高の状態に焼き上げる高級焼き肉が人気らしいが、ニシタチは半世紀前にたどり着いていた。


ニシタチ流ホルモン店の多くで提供される「けずりかけ」も、つぼや本店で生まれた。本来はおかかおにぎりだったが、握る時間もないほど忙しかったある日、白ご飯にしょうゆであえたかつお節をのせたところ評判となった。

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ニシタチでは現在、ざっと数えても10店近いホルモン店が営業。それぞれが畜産県ならではの新鮮なホルモンを提供し、根強いファンを持つ。東京や名古屋、横浜などでも展開する「〇八ホルモン」社長の久田昭一さん(49)は、「県外に出て初めて、よそではお客さんが焼くことを知った。宮崎人の親切さが伝わる大事な文化だ」と感じている。


つぼや本店を兄友樹さん(39)と守る3代目・谷口健昭さん(35)は「父たちが育てた食べ方が、地元に定着したことがうれしい」と他店の活躍も歓迎。


「互いに磨き合いながら、ニシタチ名物として浸透していければ」と願う。いつの日かニシタチが、《ホルモンの聖地》と呼ばれる日が来るのかもしれない。

ー続くー。