▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

ニシタチ物語(第2章)

老舗の記憶『2』

【赤煉瓦(あかれんが)】

『1956(昭和31)年創業』

県内初、洋酒扱うバ-

西橘通りにあるバ-「赤煉瓦」の店舗は、名前通りのれんが造りで昭和の雰囲気を漂わせる。



木製の扉を開けると、カウンターの奥に所狭しと洋酒のボトルが並ぶ。棚の右隅最上部には、60年前のオ-プン当初に仕入れたトリスウイスキーのボトルが、今も大切に置かれている。


同店は1956(昭和31)年、旧国鉄寮跡地が払い下げられ売り出された土地の一部に、県内初の洋酒を扱うスタンドバ-として誕生した。創業者は北郷町出身の故・中津清水さん。農業を営んでいたが一念発起し、約13坪の一区画を50万円ほどで購入し開店させた。


翌57(同32)年、県庁前などに並ぶ屋台が衛生上の問題から撤去を余儀なくされたことを受け、まだ住宅街だった中央通りの路地に移って大衆酒場21店が開業した。「安兵衛小路」 と名付けられたその一帯と、旧国鉄寮跡地に次々と開店する飲食店を核として、歓楽街ニシタチが形成されていった。

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赤煉瓦が開業した当初、中津さん一家は店の2階で暮らしていた。現在、店を切り盛りする次女の松山俊子さん(66)は「まだ砂利道で馬車が通り、馬がふんを落とすことも。近所の子どもと一緒に宮崎小に通い、缶蹴りなどして遊んでいた」と懐かしむ。


中央通りノムラビル2階にバ-「続人間」を構える市来善弘さん(77)は中津さんの教えを受けた1人。高校を卒業し59年、中津さんが当時開いた「洋酒天国」に入店。「バ-テンダ-5人が店の2階に住み込み働いた。初代ママ幸子さん手作りのまかないの味が懐かしい」と修行時代を振り返る。


「新人の頃は大雨が降ると雨水が店まで入り、長靴を履いて仕事をしていた」と話すのは、現在2代目オ-ナ-を務める松山春喜さん(65)。23歳で店に入り、その後俊子さんと結婚した。「つけが利く時代。給料日にバ-テンダ-が集金かばんをぶら下げて街中を回った」
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安兵衛小路が壊されて10年目の今年、赤煉瓦は7月14日に開店60周年を迎えた。「おめでとう」と祝いの声を掛けるなじみ客に記念品として特製のトリスウイスキーのポケットボトルを配った。さらに、ハイボールは50円、カクテルは100~150円と、酒はオ-プン当時の値段で提供した。


なじみの客にとっては粋な演出。県庁職員だった三好智さん(88)=宮崎市田吉=も「小料理屋が一般的だった宮崎で、丁寧な接客をするバ-テンダ-と、店の落ち着いた雰囲気に魅了された」と当時を振り返る。


俊子さんは「昔を懐かしむ人は多い。リクエストがあれば江利チエミ雪村いづみのレコードもかけますよ」と笑う。

午後7時、オ-プン当時と変わらぬデザインの赤い電飾に明かりがともると、今も赤煉瓦に魅了された人たちが吸い寄せられるように扉の中へ消えていく。

ー続くー。