わが町散歩
高鍋町
蚊口浦地区(おわり)
【琴弾きの松】
歌碑、在りし日伝える
志ら浪の よりくる糸を
をにすげて 風に志らぶる
ことひきの松ー。
平安時代、日向国司で三十六歌仙の一人でもある源重之が、現在の蚊口浦にあった松の景勝を詠んだといわれる。
この歌碑が刻まれた「琴弾きの松」はJR高鍋駅から南西方向に歩いて5分ほどの田んぼの中にある。
重之が詠んで800年後の1781(天明元)年に建立され、県内の歌碑では最古という。
琴弾きの松のいわれについて鵜戸神社近くに住む久保田章夫さん(85)は「風が吹くと、松の枝が琴のように美しい音を立てたという伝説がある」。
重之から後の時代も一帯は長い間、老松が林立していたが、明治の半ばに相次いだ台風でことごとく枯死した。
現物がない今、在りし日をしのばせるのは歌碑のほかに、鵜戸神社の夏祭りでみこしの練り歩きやお宮入りに合わせ、勇壮に響き渡る木遣(きや)り唄がある。
ホラハエ- 蚊口名物 ヒヤハエ- エ- 名所は数ある中に誰がつけたか琴弾き松ー。
その木遣りは、蚊口浦が高鍋藩の物資の集積・移出拠点として大阪など多くの港と活発な行き来を重ねる中で、各地の口上や節回しも吸収しながら出来上がっていったものと考えられている。
久保田さんのおいで今年も夏祭りで同神社奉賛会長を務めた西森幹太さん(69)は「安芸の宮島も歌われている。よほど交易が盛んだったのだろう」。
久保田さんは「県外の祭りを紹介するテレビ番組を見ていて、ふとした拍子で木遣りに似た節、口上が聞こえてきてびっくりすることがある」と話す。