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▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

わが町散歩

高鍋町
蚊口浦(かぐちうら)地区】《1》

『蚊口浜周辺』

10月の3連休の早朝。国内有数のサ-フスポット・蚊口浜。午前7時には10人ほどだったのが、8時には約50人に増えた。

10月だというのに陽光は強烈で、目が見え痛くなるほど。サ-フショップ・イ-ストリバ-を営む東川泰明さん(38)は蚊口の波を「一年通してサ-フィンができ、ブレークがゆっくりなので初心者も乗りやすく、上級者も楽しめる」。

北に数分歩けば高鍋海水浴場。東川さんらNPO法人児湯・高鍋ライフセ-ビングスポーツクラブのメンバーが毎年監視活動を担う。今季も無事故だった。
「一人一人を自分の家族と思い注意深く見守る。全ては自分が育った高鍋に恩返しをしたい」と話す。

近くの創業43年「本家たかしま」で昼食をいただく。カンパチの刺し身や煮付け、伊勢エビのみそ汁など海の幸尽くし。ぜいたくなひとときだ。

蚊口浜と言えばカキ。自らも漁もして提供する2代目高島順治さん(45)によると、10月の漁解禁後、海が荒れた状態が続いていて、カキを出せるのは11月以降になりそうだという。「この辺りのカキは身が締まって味が濃厚です」と教えてくれた。

いったん内陸に向かい、この辺の歴史に詳しい前村二三さん(82)=蚊口西の二地区自治公民館元館長=に案内してもらい、さまざまな遺物を見て回る。

高鍋駅ができる前の主要道だった往還跡をはじめ、駅から軍需工場・鉄興社(現南九州化学工業)まで敷かれていたトロッコ道のルート、機銃掃射跡が残る倉庫。

1921(大正10)年完成の小丸鉄橋前では「長さ805㍍は当時は九州一。日豊線が通ったことで鉄興社などができ、蚊口は栄えた。そのため激しい空襲を受けた。この鉄橋も繰り返し狙われ、何度も不通になった」。
町史でも、民間を含む空襲被害の記述は蚊口が群を抜く。前村さんの父が苦労して建てた家も築10年で吹き飛ばされた。

案内していただいた前村さんと立ち寄ったのは15カ所ほど。知らないだけで、戦争を今に伝える痕跡は至る所にあった。

礼を言い、別れたときには日が暮れようとしていた。