▲今日は何しに宮崎へ!▲

宮崎県内に観光や仕事、キャンプなどで来られた方々に素直な感想を 聞いています 。【宮崎】に来られる方が参考になればうれしいです。。不定期で県内各地のことも紹介します。

ニシタチ物語(1)

『メモ』
「にしたち」は宮崎市西橘通りの略称だったが、最近は中央通りや 西銀座通り、一番街、高松通り、上野町通りも含めた橘通り西側に広がる歓楽街全体を「ニシタチ」と呼ぶようになった。

《変わりゆく街》
居酒屋やバ-、スナックなどがひしめく宮崎県内最大の歓楽街ニシタチ。

仕事の疲れを癒すサラリーマン、はやりの店で食事を楽しむ若者、名物料理を求める観光客---。

人々はなぜこの街に引き寄せられるのか。人と店と街とが紡ぎ出す物語や歴史を掘り起こし、ニシタチの魅力を解き明かし変わりゆくニシタチの今を切り取る。

週末の午後11時前。一番街商店街の飲食店「コ-ナ-」は客足のピークを迎える。帰る前にもう一杯、待ち合わせまで軽く一杯---。今でこそ一番街の日常になったが、通りに飲食店が増え始めたのは、ここ数年のことだ。

同店は2008年9月、待ち合わせ場所として親しまれた「ミスド前」の空きビルで開業。老舗すし店や喫茶店などを除けば、洋品店や雑貨店など物販店が中心だった当時の一番街で、新規飲食店は異色とも言えた。

「最初は赤字続き。街に人があふれていても店はがらがらなこともあった」とオ-ナ-の村岡浩司さん(46)。しかし、同店をきっかけに通りには飲食店が増え、「食の街」の色合いを強めていく。

宮崎県内随一の商店街とともに歩んできた自負がにじむ。
「でもそんな時代じゃなくなった。飲食店がなければ空き店舗ばかりになっていたかもしれない」

1997年に1万5千人以上だった一番街の休日通行量は、郊外に大型ショッピングセンターがオ-プンした2005年以降、急速に減少。13年には4800人にまで落ち込んだ。

買い物客の減ったア-ケ-ドで新たに物販の店を立ち上げようとする人は少ない。変わって進出してきたのが大型店と競合しにくい飲食店だった。


こうした傾向はニシタチ全体でも同様で、09年にエリア内に188事業所あった小売り・卸売り業者が、14年は160事業所に減少。(国の統計による)
一方、飲食店がほとんどを占める飲食店・宿泊業は1063事業所から1129事業所へと増えている。

みやぎん経済研究所の主任研究員・ 杉山智行さん(46)は
「景気回復の兆しが見えない中、限られた所得を物より体験に使う傾向が続いて。飲食店の集積は今後も進む」と予測。

「物販とのバランスも大切」と前置きした上で、
「1次産業主体の宮崎で、ニシタチは地元の食体験できる重要な拠点。集積によって街の魅力はさらに高まるだろう」と見通した。

ーこのシリーズ続くー。